塾長紹介

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高瀬光寛塾長


恩師との出会い

工学博士である塾長には、人生を変えた中学時代の恩師とのエピソードがあります。 その先生と出会ったおかげで、「授業の前に教科書を読む事」を始めたのです。 まさかこんな些細な事が高瀬少年を博士まで押し上げたり、一生の仕事となるユニークな塾(マイジャイロ、旧自立学習指導会)を作る基になるとは思いもよりませんでした。

先生との出会いは中学2年生でした。北海道の帯広の小さな中学校でその先生は理科と数学の先生をしていました。高瀬少年のどこが良かったのか分かりませんが、その先生が高瀬少年をすごく気に入ってくれたのです。理科の実験の時必ず「高瀬出てこい」と言って理科の実験の助手に使ってくれたのです。

忘れられない思い出があります。大気圧の実験がありました。二つの半球を合わせてひとつの球にして、中の空気を抜いていきます。そうすると半球はぴったりと固くふっつきます。そしてその上を先生が持って、高 瀬少年がその下にぶら下がるのです。高瀬少年がぶら下がっても球は決して分かれません。大気の力がいかに強いかを証明したのです。

こうやって授業を重ねていくうちに、高瀬少年は先生がとても好きになりました。そして理科という物に興味を抱くようになりました。先生の良い助手になろうと思った高瀬少年は、理科の教科書を授業の前に読み始めたのです。

そうすると特別好きでもなかった理科の授業がとても良く分かるようになったのです。先生は数学の先生でもあったので数学の教科書も授業の前に読み始めました。そうすると数学もとてもよく分かるようになり、成績も急上昇、帯広で一番良い高校に合格できました。

このエピソードは安倍首相を始め著名人が出演しているテレ ビでも紹介されました。(「覚悟の瞬間」)


望まぬ塾という仕事

塾の仕事は塾長が最初から望んで始めた仕事ではありませんでした。東京工業大学で博士号を授与された研究のテーマは、「アルミナの超微粒子の生成とその生成メカニズム」という物です。目に見えないぐらい小さな微粒子を作ったのです。当時世界最小の微粒子でした。

この研究成果のためアメリカの大学(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)への留学の話があり、急遽結婚して夫婦でアメリカへ行くことになりました。しかし結婚はしたものの、留学の話はうまくいきませんでした。

しかし研究は世間から大きな脚光を浴び、ベンチャービジネスを立ち上げないかという誘いがたくさんの企業からありました。そしてベンチャービジネスを立ち上げよ うと決心したのです。しかしベンチャービジネスの立ち上げの準備をしていても生活のためのお金がほとんど入ってきません。また間に立つブローカーの人が出て、いろいろな企業回りをしました。また塾長の性格が人間関係を上手にこなせるタイプで無かったとがあり結局これもうまくいきませんでした。

結婚生活では単身者のように気ままに生活できません。生活のためのお金も必要でした。経済的に困ったこともあり生活のためのアルバイトの気持ちで自宅マンションで生徒を集めて勉強を教えたのです。

最初7人の生徒が集まりました。半年もしないうちに40人にも生徒が増えて行ってしまったのです。このようにしてマイジャイロという学習塾がスタートしたのです。この間はまるでジェットコ ースターに乗ったような浮き沈みの激しい時期でした。

塾講師は当時塾長にとって全く考えることができない職業でした。塾長の性格にはそぐわない苦手な仕事と言えました。 しかし希望していた道が絶たれ、追い込まれるように塾を始める事になってしまったのです。人生って不思議なものですね。

苦手な理由ははっきりしています。研究者気質のため生徒の微妙な気持ちがなかなか読めないのです。もっとも30年以上塾をやっていると次第に変わってきて今ではかなり丸くなっています。

塾を始めて持ち前の研究熱心さから自立学習法を考え出しました。自立学習法は開業した32年前には他のどの塾もやっていないまったく新しいコンセプトでした。ちなみに10年ほど経ってから明光義塾で明光式自立学習を宣伝し始め、自立学習という言葉が世の中に普及することになりました。